朱点のないアマゴ(Sport&Fishing NEWS 2001/5月号より)

●熊野の夏
 熊野川のとある支流に入ったときのことである。この日は新宮にある、大学の淡水実験場の後輩に連れて行ってもらっていた。標高差約250mほどの緩い崖をほぼまっすぐ登り、結構見ごたえのある滝の上にある滝の、更にもう一つ上の滝の上に出てくる。その支流には、水中にいるのを見ると一見カワムツかと思うほど背中と腹のクッキリ線の出た、美しいアマゴがワガモノ顔で悠々と泳ぎ、隅っこの方にタカハヤがもうしわけなさそうに黒っぽく棲息している。川にはそれらの魚しかいない。正確にはキリクチイワナもいたらしいが、今や絶滅したか、小さな沢でひっそりと暮しているのか、姿をみかけない。そんな支流の、夏の出来事だった。

●何か違うアマゴ
 源流へ近づくにつれ、アマゴの魚影は濃くなった。しかし、釣れてくるうちの半数くらいの魚が、どうにもおかしい、というか魚体が違う。顔つきも体つきもアマゴはアマゴなのだが、何か足りない。そう、アマゴのトレードマークたる朱点が見えないのだ。それも、少ないという次元ではなく、ひとつもない。その時は「ただめずらしい」だけで、なぜ朱点がないかを全く考えずに写真を撮ってリリースしていた。後輩もすでにそのことには気付いていたようで「ここだけ、そんな魚がいるんですよ」と軽く言っていた。頭の中をカラにして釣りを楽しんでいたので、結局「珍しい」とは語りながらも、その魚を持ち帰ることなく山を下り、家路についたのだった。(いや、一匹持ち帰ってその日に食べてしまったような記憶も…(爆))

●なぜ朱点がないのか
 翌週、写真を現像して、朱点のないアマゴのことをよくよく考えみた。遺伝的にアマゴから朱点を消すことは相当困難である。先述の同行した後輩の先生であり、私の最も尊敬する淡水養殖の権威・伏木省三氏に話を伺うと、個体差や分布域の違いにより、色や数の差はでるものの、少ないとされるものでも必ず朱点は見られるそうだ。たとえまかり間違って、変異でそのようなタイプのものが生まれても、遺伝して我々のルアーに掛かるほどの数となると、とても考えにくいそうだ。
考えられるパターンは2つ。「ヤマメ放流」か、「全く違う別種のアマゴ」か。

●ヤマメ放流説
 アマゴ、ヤマメの養殖が始まる以前より、同河川の滝の下からアマゴの放流をすることは、かろうじて可能であったといえよう。しかし、朱点がないのはヤマメである。近隣でヤマメを熊野に持ち込むことができるのは岐阜県だが、その地域からあのような源流に、当時ヤマメを持ち込む術はない。問題は養殖技術、搬送技術が発展した1960年代以降である。中部地方の養鱒場では日本海側水系でヤマメ、太平洋側水系でのアマゴの入手が可能となり、熊野方面に、両種を混同して放流用に出荷してしまったこともしばしばあったという。それらの魚をなんとかして上流域に持ち込んだことは考えられないこともない。つまり、この説が真実であればこの魚はヤマメ、ということになる。しかし、下流の豊かな渓流域ならまだしも、滝をいくつも越えた上流に、養殖魚を持ち込むメリットがあるのだろうか。

●別種(異変)説
 まず、魚が下流渓流域からこの沢に入るまでには、かなり大きな規模の滝が3つあり、魚が昇ることはできない。別種説の場合、その場所に滝ができる以前の太古よりアマゴが棲息していた、ということが前提である。つまり土地の隆起により魚が分断され、何らかのきっかけで朱点を失い独自の進化をとげた、というのがこの説の根幹となる。ちょうどこの熊野水系の南方裏側に位置する那智の滝の上流には、そういう経緯で分断された魚がいるそうだが、ただ、魚種の分化は一切起こっておらず、下流および同水系の魚と全く同じ種類、模様であった、という研究発表がある。問題の、この沢のある山と那智の山が同時期に隆起しているため、分断された魚がいる可能性はある。変異する、という可能性は低いが完全にないとは言い切れない。顔つきや色合いがアマゴっぽいので、もしかすると本当にアマゴの新しい種類かもしれないのだ。その方が夢がある、と思うのだが。

●そして再び熊野へ
 次の年。渓流解禁に伴い、再びその沢へ立った。しかし釣れども釣れども、そこには美しい朱点を身に纏う天然のアマゴしか存在しなかった。真相を確かめるためにはサンプリングによるDNA鑑定しかない。しかし、沢を登るにつれて、いつしかそれは「ただただもう一度あの魚の姿を見たい」という、憧憬の念に限りなく近い感情へと変わっていった。
 上流には地元のエサ師の先行者がいた。朱点のないアマゴを知らないか? という問いに対して「見たことがない」という驚くべき答えが返ってきた。たしかに、今日は一匹も釣れていない。しかし、地元の方が今まで見たことがないというのはどういうことだろうか。よくわからないが、とりあえず、そんなアマゴが釣れたら教えて下さい、と声をかけておいた。
 山を下りて、去年同行した後輩と伏木先生にお話を伺うために、新宮にある近畿大学農学部淡水養殖試験場に行った。そこで私は後輩から、ある写真の情報をもらった。なんと何年も前に同じ沢で、朱点のないアマゴが釣られているのだ。先生はその写真をはじめて見たそうで「こりゃアマゴの顔つきだねえ、ぜひ見てみたいもんだ」とおっしゃっていた。その写真は持ちだしができなかったが、以前からいた、という有力な手掛かりになった。
 この試験場では、アマゴの放流も請負っているので、放流地点の話もおおまかに伺ってきた。やはり、下流の渓流域での放流はあるものの、大昔の放流に関しては、話はわからないのだそうだが、滝の上への放流はなさそうだ、ということだ。

 今手元にあるのは初年度の写真である。精悍な顔つき、ピンクのヤマメ帯もないこの模様を見ているとやはりアマゴに見える。果たしてヤマメなのか、アマゴなのか。真相はDNA鑑定、および電気泳動でしか判別できないので、とにかくサンプル個体が必要となる。どうしてもはっきりさせたいので、今後も熊野通いが続きそうだ。
※読者の皆さんで、紀伊半島で朱点のないアマゴをご存知の方がもしいらっしゃれば、メールでも結構ですので是非小川までご連絡ください。
e-mail :
howl@fish.co.jp

朱点のないアマゴ拡大画像(204KB)