覚醒、ナチュラルハイ状態へ。
普通、「釣り」という行為では、脳が覚醒することはない。ご多聞にもれず僕も、ない。しかし、渓流にいるときだけはどうも違う気がする。いや、違う、のだ。流れの音に感覚を削がれ、頭上にせまり陽の光を遮断する樹木。こうした森の切れ間の中に身を置いているだけで時間の感覚、温度の感覚、空腹、便意、すべてを別の次元へ置きざりにすることになる。頭では、これら感覚、欲求を理解しているのだが、渓に身を置く我が身にとっては、もはや温度ですら数字上のものでしかないのだ。
徹夜後渓流を降りてそのまま夜釣ったバスの写真でもこの通り。
これは覚醒である。はっきりいって渓流または渓流前後での僕の写真の眼は、マリファナをキめた時の眼とまったく相同である。誌面では使い物にならない。
狩猟本能、闘争心を抑えて生きてきた自身の内的エネルギーが、まさに燃焼をはじめた瞬間なのかもしれない。
3日〜5日は寝ない、10日は食わない、2週間は大便しない。それでもこうやって普通の人間としてなんら問題なく生きているのである。つまり、一般の人でもこれの1/3くらいはぜんぜん我慢可能な範囲といえる。これがあるから一日二日飯を食べないごときでがたがたワメク人(特に女性)を僕は無意識に嫌ってしまったりするのかもしれない。表面ではうまく取り繕っているが、本能では淘汰している。
「食うな、時間が勿体無い。」
「トイレは小以外我慢せよ。」
「寝るなら歩け。」
以上が僕が嫌われた時、僕が吐いていたセリフである。