2002年の東南アジア日記

2002年4月13日(土曜日)

出発

夜中にバンコク着。
カオサンへ向かうとタイ正月(ソンクラ)らしく、
なんだか異常に賑わっている。まっすぐは歩けないほどの人ゴミだ。
全員大ハシャギで水をかけあい、白い粉を他人に塗りたくる。

よくわからないがやまねこくんに着いていく。
ゲストハウスへ向かう途中、白い粉と水鉄砲で荷物や服が少しやられた。
知らずに来たためエライこっちゃ。

ちなみに
釣竿のバズーカを巨大水鉄砲と勘違いした馬鹿たれどもは
恐れおののいて近づかなかった。

部屋(NATゲストハウス/1泊180バーツ/2人部屋)に着いて荷物を置き、いろいろ見に行った。

2002年4月14日(日曜日)

初日

一夜あけて、まだカオサンストリートは祭りだった。
もう、一年でこの日しかはしゃげない!というような若者もいる。
楽しそうだが、私は楽しくなかった。
ラオス入りのため、ビザ(入国査証)の発給を試みるが、
タイ正月は政府機関をも数日フリーズさせてしまっていた。
つまり、ラオスに行けないってことよね。

しかたないので翌日タイの海側を狙うことにして、
近所にあるチャオプラヤ川を攻略!と思ったら
結構雷魚とかが見える。
しかし、釣れない。まじで。
投げやりにSIN-ZO3のホワイトを落とすとグウォッっアタリが。
合わせると水面直下で身を翻す。
「ゲッ」と思ったらこらメーターはあるかとおもわれるナイフフィッシュ。
昔数匹飼っていた魚である。阪神大震災で死んだけど。
岸と水上通路の間という狭い場所でのヒット、かつラインは8lbのため、
はやくも「アカン、絶対無理」とあきらめた。
その瞬間フックをあえなく伸ばされて撃沈。

ところでタイは飯がウマイ。何食っても何飲んでも大ヒット。
豆乳砂糖入りみたいなやつも、みんな嫌いかもしれんが
むっちゃウマイ!と思うしかなかった。きっと前世はこの国の人だったのだよ。

2002年4月15日(月曜日)

海へ

チャオプラヤ川はアタリが少なすぎるので海へ向かうことに。
カオサンからサイアム(要は昔のシャムね、中心地)へむかい、
そこから最近出来たBTSというモノレール系のサワヤカさんな乗り物に。この乗り物はなんというか、無菌やね。バンコクはそもそも大阪そのものみたいな街やから、そこにいきなり新型のiMacとか持って来ても似合わんわけよ。そんなイメージ。
まあ、そのBTSでエカマイという南方へのバスターミナルのある駅へ。
バスターミナルからはパタヤ行きのバスに乗り、快適にパタヤへ。
そこからソンテウ(乗合の屋根付きトラック)に乗ってジョムティエンビーチまで。
ビーチ、でかすぎる。いまだタイの正月は覚めやらず、バリバリ水鉄砲&バケツ。
荷物持ってる人にバケツはやめとけよ。

ビーチのゲストハウスを借りて魚が多いとうわさのサタヒップへ!
道中ソンテウに乗っていた少女(親子で親も美形)がかわいかったので、やまねこ師、激写!速写!(決してロリではない)私は彼女に「水蓮」という名前を容赦なく勝手に心の中でつけ、後日勝手に歌にしてしまった。

サタヒップは漁師町の風情。けっこう賑わっていて、日本人はいない。地形はサーフで両端の岩場をNAVYに押さえられて外国人は行けそうにない。サーフに何本か桟橋が出ているのでそのうちの海向いて一番左をチョイス。

着いて速攻、桟橋に干しイカが並んでいる!!(アオリっぽい)
迷わずエギをキャストし、ダートさせてると、なにやら突進して来た。
すかさずミノーを投げていたやまねこくんに告げ、
周囲をチェック。すると、ガツーンとのめり込むようにヒット
その名はバラクーダ。
こいつはシガテラ毒というプランクトン毒があるので食えない。
しかも抜き上げ時に竿が折れた。やまねこロッド1号、はやくも撃沈。
ちなみにこの竿は日本に1本しかない。と思う。
魚の写真を撮ってこの日は終了。
少女に想いを馳せつつ、とっとと退散した。

と、おもったら、ソンテウを降りてビーチまでの道のり、バイクタクシー代をケチってしまったため、とんでもなく歩いてしまうはめに。野犬に襲われてみたり、バラムンディーを食べてみたり、いろいろな体験をした。

その夜、セブンイレブンにて超イケグッズを発見。
それはグミキャンディなのだが、堂々と日本語が書いてある。
その日本語
「 フ ァ ン タ ツ ー 」
????
これは即座に買い占めて、家族みんなのお土産になっているので
楽しみにしておくように。

2002年4月16日(火曜日)

海その2

さて、前日のバラクーダに何かを予感した我々は朝からふたたびサタヒップを目指した。
ビーチも落ち着いて、さすがにもう「水ぶっ掛け祭り」はやっていなかった。
そしてさすがにソンテウ(乗合トラック)に水蓮ちゃんは乗ってはいなかった。
町に着くと即座に我々は昨日の桟橋へ。しかし、しかしである。
なにも足さない、なにも引かない。2、3時間もやっているとジリジリ暑くなってくる。
仕方なく桟橋をあきらめメインストリートを歩いた。そこには釣り具屋があった。
そして、まだ水を道ゆく人々にぶっ掛ける、夏を捨て切れない迷惑な家族の姿も。。
いや、釣り具屋の話に戻るが、ちょっと小奇麗な店で、日本の楽器屋のイメージだ。まず入るとそこにはギターの弦があった。自然にギターの弦、そしてアブのリール…そしてピック、フック、ブリッジ、オモリ。

おかしいやろが!なに屋やねん!はっきりせえ。

どうやらギターはないが、ギターの備品は売りたいらしい。わがままな店である。
私は餌木のストックがほしかったのでアオリーQを手に取った。。。ん?何かが違う。
そう、その台紙に書かれているのはYO−ZURIと同じフォントでYOーSARIなのだ!!パッケージは酷似。私はこの国に少し不安を感じていた。その上、汚い台紙の餌木に目を移すとYO−BORIと書かれている。zzっぜえんぜん違うやんけ!パッケージも袋タイプと、似てない上に名前になんの「コンセプトも見えない(by M浦昌J氏)」

不思議な気持ちで釣り具屋を出ると海は満ち潮で荒れていた。あーもちろん他のエリアは釣れません状態。投げやりな気持ちでこの地を後にした。

ジョムティエンビーチへもどり、少し歩いていると、不審な車を発見。ん?クルーザーの牽引?ん?でかいぞ?繋がってる?あれ?4機?
そう、一台の車に4機もの巨大バナナボートが牽引されているのだ。案の定、かれらの車はカーブでつかっえ、大渋滞を巻き起こしていた。おまえら何しに来てん!!(笑)

ひとしきり笑って速攻寝た。

2002年4月17日(水曜日)

文字に振り回された一日

 もうさすがに水ぶっかけ祭りも終わりを迎えているはずだ、という見解の下、我々は朝バンコクへ戻ることに。パタヤにあった『クリスティーナアギレラのライブ!4/13 ●●ホテル』という看板に、多少の悔しさ(日程的に無理)を感じながらも我々のバスはバンコクへと帰っていくのであった。その他に道中見つけた看板には、NGKスパークプラグの看板で『BA<NGK>OK』というしゃれたヤツがあった(どうでもいいか)。
 バンコクのサイアム(シャム)につくなり、やまねこ氏はマクドナルドへと飛び込んだ。タイのマクドナルドは日本とさほど変わらない。たまにへんなメニューがあるだけだ。わたしはなんとなく「サムライバーガー」なるものを食べた。…臭みのあるソースに臭みのある肉。何がサムライなのか。私は責任者を呼んで問いただしたい、という衝動にかられた。
しかしである。
この直後、私の怒りを忘れさせる出来事が起きたのだ。それは控えめ少年のTシャツだった。彼はナンパ慣れしてそうな3人組の男子高校生風のなかで、ひとりだけ、もてなさそうな、それでいて人のよさそうな、いうなれば「カモ」「パシリ」のようなやつだった。しかし、そんな彼にも誇りがあった。一生このままでは嫌だ!彼はTシャツのロゴに静かなる主張をしていたのだ!しかも日本語で!そのロゴは縦書きで、シャツのなぜか正面右よりにこうあった。




なんということだ。私は彼を心の中で激励した。オレがついている。頑張れ。っていうかどこにそんなん売ってンねん。

ビザの申請のため、カオサンに戻り、『BIG BLUE』という、ダイビングをメインにしている日本人経営のツアー会社(ホームページはhttp://www.Kohtao.net)で申請を代行してもらう。この店に働いておられる佐野さんという男前の店員さんは釣りもされていて、いろいろと教えてくれた。カオサンにはさまざまなツアー会社がひしめき合うが、中にはヤバいお店も多い。とりあえず『ココは安全』と私が言い切れるお店「BIG BLUE」。安心して利用していただきたい。
そうそう、ビザ取得のためスピード写真を撮ると、いつのまにかお上品なわたしのツラは、ヒゲと日焼けで早くも悪人ヅラに変わっていた。
ちなみにラオスビザは1050バーツ(3000円チョイ)

タイマッサージにも初挑戦。BIG BLUEの近くの「チャイディーマッサージ」ここも日本人経営で安全、安心そして丁寧。

2002年4月18日(木曜日)

夜行列車はウボンを目指す

この日は夜行でラオス付近の街ウボンラチャタニーへ向かうため、交通手段を調べにいった。まず、バス。バンコク無菌トレインBTSに乗り込み北部バスターミナルのあるモーチットへ。しかし、BTSからバスターミナルへは遠すぎた。カオサンからタクシー100バーツほどが相場。こっちのが無難で安くつく。
バスはよくわからなかったのでタクシーでモーチットからフアランポーン駅(バンコクの鉄道の中心駅)へ向かう。わたしはここで舌が滑ってタクの運ちゃんに「ウボンラチャタニーまで」と言ってしまった。これでは東京で「青森まで行って下さい。」と言っているようなものだ。すぐ訂正したが、一瞬車内の空気が止まったのと、やまねこ氏がヒゲをピクピクさせたのは、言うまでもなかろう。
フアランポーン駅で夜行列車を確認。コレに決定した。

カオサンへ戻り、ビザを受け取って再び駅へ。駅のケンタッキーでやまねこ氏、ブリトニースピアーズのトレーディングカードを発見。なんと速攻一枚買って私に見せびらかしたのだ。当然私も即座、買いに走ったのは言うまでもなかろう。しかもオトナのまとめ買いだ。ブリトニーファンでもなんでもないのだが、とにかく欲しかった。

9時に列車はウボンへ出発。日本の原風景のような、屋台の灯り、そしてグリーンの色味を帯びた蛍光灯の灯りに織り成された線路沿いの街角たちを眺めやり、それぞれは感慨に耽った。

列車は快適のはずだった。夜中になり、乗務員によって寝台が設定されると乗客全員が2段の寝台に寝そべった。わたしとやまねこは上段の向い同士。ベッドの感触も良好。ぐっすり寝れるゼ。。
しかし、悲劇は1時間後に起きたのだ。隣の席に座っていた太ったオヤジ。推定150kg以上はありそうなこのオヤジが、なぜか上段(やまねこの隣、わたしの斜め向かい)に寝ていた。そしていままでに、かつて聞いたこともないような超絶巨大いびき(リズム感ゼロ)をかきだしたのだ。
車両内は騒然とした。というかそいつ一人で十分騒然なのだが。たまに乗客に携帯電話などで喋るヤツがいるといびきは止まる。普段なら寝台で喋んなボケ!と切れるところだが、彼らが天使に思えたほどだ。それほど、ヤツのいびきは一晩中、夜を徹して、乗客の繊細な鼓膜を貫き通した。

これは立派な犯罪である。

2002年4月19日(金曜日)

すいれんのうた

夜が明けるとき、やまねこは悲壮感あふれる目つきで「あ〜、一等寝台って個室でいいよな。あれで600バーツ(2000円ほど)だったら、あれのほうがよかったやんけ。いや、むしろオレが金出すからヤツを一等寝台(個室)に入れてあげたい。それが本当のボランティアだ。そうは思わないか?」とうめいていた。私は「オレも半分出してもいい。」としか言えなかった。すべてのエネルギーはヤツのいびきにやられていた。壁がビビッと振動するほどの、あのいびきに…。

誰もが危険な状況だった。ヤツに対する心の余裕を持ち合わせた者はいなかっただろう。にもかかわらず、朝、乗務員により、寝台がタダの椅子へとトランスフォームされるころ、問題の巨漢は「すっきり寝れなかったゼ」といった納得行かなそうな顔で座席へ座っていた。いったいあなたの要求はなんですか?(T芝クレーマー事件風)

やまねこは巨漢を視界にも入れたくなかったためか、車両連結部で外を眺めながらたばこをふかしていた。私は窓の外を見ながら頭に浮かんだ曲をノートに書き記していた。サタヒップへ向かうソンテウで出会った少女「水蓮」の歌だ。記憶の中の彼女は、窓の外に広がる光景にひっそり赤く花咲く水蓮とダブって思えた。窓の外の風景は広大な農地。荒れた土地を起こして畑にしていったのだろう。起伏が激しく、平面がなかった。水蓮のひっそりと咲く水たまりを除いては。

ウボンラチャタニーからバス、ソンテウを乗り継いで国境の街チョンメへ。国境を越えて税関横の銀行で換金。100ドルをラオス紙幣(キープ)へ替えると、5000キープ札の札束が二つも来た。額不明。おそらく100万キープほどだが、数える気にもならなかった。
国境からはぎゅうぎゅう詰めのソンテウで40分ほどかけてパクセ(北バスターミナル)へ。このとき日本が建設したという大きな橋を渡るのだが、ここでメコン川の雄大な流れをはじめて見ることができる。さらに小さいソンテウで南バスターミナルへ。ターミナルに到着するかしないかの微妙なときに、私の重量級ザック(推定28kg)が突然引っ張られた。見るとものすごい剣幕でおっさんが「ドンコーン?」と聞いてくる。目的地なので「イエス」と答えると、問答無用で私の荷物を引っ張り込み、自分のソンテウの屋根に乗せた。この間数十秒だ。あっけにとられるままソンテウに押し込まれ、一路ドンコーン(の対岸)へ。どうやら客引き合戦だったようだ。

ハッキリ言おう。ラオスでソンテウに乗るとぎゅうぎゅうに詰め込まれ、外の風景など見る余裕は皆無になる。これはただの輸送だ。おまけに割安でもなく何のメリットも見られない。乗るなら外で手すりに掴まって立っていたほうがゼンゼンよいだろう。自分が観光なり旅行に来ているのであれば、移動中、外の景色を見るべきであり、そこにお金をかけるべきだと思う。これがない輸送ともいえるこの乗り物は、移動中寝る人とそのエリアに生活している人だけの手段である。また、荷物が屋根に載せられて、完全に目が離れてしまうため、大変なダメージを負う場合もある。私の場合はコレがストレスになり、気になって落ち着かなかった。私はこのような乗り物に無理矢理乗せた客引きのおっさんに怒りをおぼえた。が、当の本人はそんなことが理解できるはずもなく、なんと道中車内で寝だしたのだ。オイ、仕事しろよ(笑)。それも周りにカックンカックンとすごい振り幅で首をぶち当て、ひたすら周囲に座る外国人の怒りを煽っていくのだった。
腰が痛い上に、目から離れている屋根の荷物に不安をおぼえた私は、休憩時のチャンスを見計らって車外で立ちっぱなしの席を選んだことは言うまでもない。空は青く、すがすがしく、荷物も無事だった。景色は荒野、畑、集落、ときおり林、そして枯れ川でほとんどが構成されていた。道路は右側通行。日本やタイとは逆である。

休憩で集落に立ち寄ると、おばさんがヨロヨロと串を持って倒れ込んできた。見ると串には、焼いたカナブン(おそらくドウガネブイブイに近い種類)がズラッと刺してある。別の串にはイナゴだ。1本1000キープ(13円)と安いので、食べたこともないカナブンに挑戦。焼いたエビの頭となんら変わりなかった。

私が虫を食べるところを興味深そうに見ていた白人が、私に「食べれるの?」と聞いてきた。「食べれる。不味くない。」と答えると、顔をしかめて今度は「それはファーストトライか?」と聞いてきた。私が「はじめてだ」と答えると、なんと出てきた次の言葉は「なんだ、いっつもそんなの食ってンだと思ったよ」と抜かした。これは日本人に対する一部白人の差別発言で、彼らのなかには「鯨を食うような野蛮な民族とは会話もできない」というアツ〜イ信念があるらしいのだ。ちなみにこういう白人にお目にかかりたい人は海外のホエールウォッチングツアーなどに参加すると、楽しい出会いがあるだろう。あえて「ホエールウォッチャー・ウォッチングツアー」なんてのもいいかもしれない。むしろ鯨を見るよりも断然ナウい。そう、我々の目指すエリアには、絶滅寸前といわれるメコンの川イルカ(たぶんスナメリか近似種)を見るツアーがあり、それこそが観光の目玉なのだ。出会うのはそんな白人ばかりだとしても不思議ではない。私はやまねこからあらかじめ聞いていたのでその発言には全くむかつかなかった。虫を彼の方へ押し付け、「食ってみなよ」などとおちょくって反応を楽しんだのだった。

メコン川のラオスとカンボジアの国境付近には、四千もの中州でできた島からなるエリアがあり、『シー(四) パン(千) ドン(島)』という。その中でも、この日の目的地であるドンコーン(コーン島)は、最大の島だ。島のなかには遺跡もあるほど歴史は古く、漁業も盛んである。ラオスのシーパンドン大統領はここの出身だそうな。
ドンコーンの対岸でソンテウを降りた我々は、渡し舟(二人で5000キープ)で入島した。


「こんにちわ」船付き場でいきなり日本語を聞いたので私は驚いてしまった。先客の日本人だった。その青年は礼儀正しく、すぐに仲良くなった。どうやらお姉さんと二人で来ているそうだ。彼らの泊まる宿と同じゲストハウスに泊まることにし、我々は荷物を置いて早速釣りに行った。

釣りしてみてすぐに気付いたのだが、この島で大きい魚を釣ることは相当困難である。というのも、岸際に何重にも刺し網と延縄が張ってあるのだ。根掛ってはマズイと思い、私はすぐにトップの釣りへと切り替えたが、魚の反応はなかった。それもそのはずである。沿岸にある程度のサイズの魚が来れば、必ず刺し網のエジキなのだから…。

この日の夕食には、この島には姉弟の他にもう一人日本人の男性が来ていたため、我々含めなんと5名もの日本人が集まり、それぞれ目的が違うため偶然の出会いだったが、楽しい夕食となった。次の日の朝から出発予定で、イルカや他の島、そして滝を見るというツアーの話が持ち上がり、私もやまねこ氏もそれに参加させてもらうことにした。釣りが目的の我々にとって、安い値段で手早く、この広いシーパンドンというエリアを見回すことができる絶好の機会だったからである。案の定これが後に実を結ぶこととなる。